@
技能伝承はマニュアルを作ることではない
技能伝承は人を育てることだ。人が育って初めて技能伝承が行われたといえる。技能伝承のサイト、特にビジネスとして技能伝承を進める方々のサイトを見ると、その大半は「どのように技能をマニュアルにするか」に終始している。そうではない。技能マニュアルの作成は技能伝承の部分に過ぎないのだ。技能伝承は技術の問題ではなく、教育の問題なのである。よくあるケースだが、技能マニュアルの作り込みに熱心になり、完成に膨大な時間と労力をかける。確かに完成度は高くなるが、人はいっこうに育っていないのである。技能伝承に関する活動はしたが、成果が出なかったといえる。この場合、暗黙知の形式知化の活動を展開したに過ぎないのである。筆者の提案する「暗黙知の管理システム」でいえば、その1つのステップを満たしたに過ぎない。
私は技能マニュアルの完成度を高くすることは重要だが、コスト意識をもってこの活動に参加してほしいと思う。少なくとも、技能マニュアルが60%程度の完成度になったら、後継者養成を始めるとよい。教育をやりながら80%、90%・・・と高めていけばよいのである。その方法も、特殊なソフトウエアを活用することも必要ない。また、このための機械を使用することもいらない。まして、マニュアルを外注するなどということはナンセンスであろう。できる限り短時間で、指導者が要領よく技能マニュアルを作成することだ。その過程で、指導者はどう教えたらわかりやすくなるか、どこが伝わりづらいのかを考えるはずだ。マニュアルを自作するこの過程こそが大事なのである。「技能伝承」の伝承という言葉には「指導、育成」という意味が込められている。肝心の活動は「暗黙知の管理システム」の第3ステップを確実に展開することである。そのためには指導者、あるいは、ベテランが、経営者がこれに気づくことだ。
技能伝承は技能のデジタル化ではない
暗黙知を明らかにすることにとってデジタル化は有効な方法である。筆者のいうデジタル化とは「数値表現」を指している。測定器を用いたデータはその一部を構成する。このデジタル化は暗黙知の明確化の1部分である。一方、技能伝承では「伝えるべき技能を明確にすることで伝わりやすくなる」ので技能マニュアルを作るのだ。しかし、あくまでも技能伝承の準備過程に過ぎない。
コンピュータ会社を中心に大規模な予算を使って技能のデータベースを構築する作業が行われるが、これまでの経緯と成果をみればそれがどのようなものであったかがわかる。これを使って後継者養成が進展したという報告は聞こえてこない。むしろ、地道に社内の技術・技能教育を行っている企業の方が、優れた技能伝承を実現しているのである。
大学が行う研究テーマについても「技能伝承」「ものづくり」といった言葉を使ってはいるが、実質的に技能伝承を効果的に推進できたというような成果・結果がでていないことはよく聞くことだ。テーマだけが、新規性だけが先走りして、研究者の研究関心だけが満たされて実践は未達成というケースは多い。従って、現場に貢献したというようなことは聞こえてこない。「技能のデジタル化」というテーマはこのような背景の中で、推移したのである。
技能伝承に近道はないが、合理的な方法はある
その一つとして[伝承対象技能の絞り込み→技能分析→技能マニュアル→課題の選定→指導の展開→成果の検証]という進め方を提案したい。確実な育成をいかに行うかを考えていくべきだ。少なくとも量産や工業生産をめざしている産業においてはこの進め方が妥当と考えている。
もっと端的にいえば、「技能は説明できなくても、科学的に解明されなくても、わかるように仕組めることができれば、技能伝承は進む」のである。このことを一方の柱に据え付けておいて「今、どのように活動すべきか」を考えると有益な活動の仕方が見えてくる。伝統的な職人達の後継者養成をみればそのことがよくわかる。彼らは必ずしも自分の技能についてすべて説明できないだろう。なぜ、そうしてきたのか、なぜそのような結果が得られるのか・・・。他者に聞かれて初めて気づくことも多いに違いない。しかし、後継者養成ができているということはどう考えたらよいだろうか。これは量を求めない生産方式の場合に可能な方法と推測できる。では、量を求める生産方式の場合はどうあればよいだろうか・・・。
技能伝承は一貫した流れで進めないと結果が出ない
オーディオシステムを組むときには同水準の性能を持ったコンポーネントを組み合わせるのが鉄則と聞く。スピーカーだけが突出して優れていてもアンプが悪ければそのアンプの性能で音は決まるという。確かに相性はあるが、そのシステムを構成する機器の水準が同じであることが無駄のない組み方なのである。技能伝承でこれを考えてみよう。技能マニュアルだけが優れていても教え方、育成方法が悪ければ、その成果は悪い方の水準で終わるということだ。よいマニュアルがあるからといって必ずしもよい伝承ができるということではない。
[伝承対象技能の絞り込み→技能分析→技能マニュアル→課題の選定→指導の展開→成果の検証]という一連の流れにおいても同水準の品質を確保できなければ結果は各作業の最低水準に制限される。せっかく、優れた技能マニュアルを作っていながら、指導の仕方は従来型のOJT中心であるという活動をみることがあるが、これではマニュアルが生かされていないのである。優れたマニュアルがあるのであれば、それに応じた優れた指導の仕方もあるべきである。
この話は技能伝承を進める上で、多くのヒントを我々に示してくれている。
技能伝承は教え方がクローズアップされている
ようやく、多くの企業で技能伝承活動が導入されるようになった。つまり、この活動の意味が認識されてきたのである。振り返ってみると、技能伝承活動でもっとも進展するのは技術的内容に近い分野である。それは多くを生産技術分野の人々によって活動が支援されることも要因としてある。その結果、優れた標準書や技能分析が進むことになった。技能マニュアルもレベルの高いものが見いだせる。そこでクローズアップしてきているのは訓練課題の選定や指導の仕方である。一般に、ここはまだ、経験値をもとに展開していることが多い。水準は決して高くないのである。古くから教育研修を実施し、専任指導者がいるところには教育のノウハウが蓄積されているので水準は高い。技能伝承で初めて教育研修に関心を持たれる企業は少なくないが、改めて教育の方法に注目することとなるのである。これは自然な話である。ではどのようにすればよいのだろうか・・・。
技能の内容、質にあわせて創造するとよい
技能の指導は一言で言えば創造である。一定のパターンでやればとてもやりやすい。しかし、それではある程度は指導できるが、その水準は限られるのだ。設計技能の指導と仕上げ加工の指導で考えてみよう。前者は製品の構想から考え、機能や強度などを考えながらそれを図に表していく。後者は対象物を頭で判断し、対象からの情報を受けて手指を操作する。これらを同じ方法、たとえば「やってみせ、やらせてみて、後を確かめる」でできるだろうか。ある程度はできるが、その到達水準は低く、工夫が残される。設計技能の技能マニュアルには動画は不要であるが、仕上げか高技能には動画は欠かせない。同じように指導の仕方は設計技能には考え方のバラエティを示さなければならないが、仕上げ技能の指導には動作の仕方を示さなければならない。「やってみせ、やらせてみて、後を確かめる」はいつでもそうするのではなく、工夫して組み合わせを変える必要がある。また、ほかのやり方も導入しなければならない。
このように状況即応、内容対応、創意工夫・・・が求められる。技能伝承の指導者に必要なことはこのような指導の方法を研究し、工夫することだ。柔軟に、確実に大胆に・・・取り組むことが優れた指導へと導くものである。
文責:森 和夫