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 技術・技能教育研究所・森 和夫ホームページ 




技術・技能伝承クライシスとその克服
−クライシスを越える企業現場の取り組みから学ぶもの−




森 和夫  技術・技能教育研究所


技術・技能伝承クライシスを考える

1.技術・技能クライシスが引き起こすもの

 技術・技能クライシスと呼ぶにふさわしい状況が静かに進行している。各企業の特色を発揮していた製品に含まれる固有の技術・技能の担い手がいなくなろうとしているのである。
 技能は人に宿るものである限り、その技能を持つ人間が不在になれば、技能は消え去る。不在となる原因として、最近は熟練技能者の高齢化による退職が大半である。バブル期に採用した技能者が退職の時期にさしかかっていることによるものだ。この大量退職は企業活動に大きなインパクトを与える。固有技能ともいうべき熟練労働力として活躍してきた集団である。この退職は何をもたらしているだろうか。
 最もダメージを受けた例は生産活動が破綻した例である。失ってしまった技能の欠落は他の何ものによっても補うことはできなかったという。このようにして、かつて、生産していた事業から撤退するという事態は珍しくはなくなっている。当然のことだが、関連企業にアウトソーシングしたという例もある。しかし、品質の維持ができないために撤退した例は少なくない。技能伝承クライシスの暗い部分は悲惨な事故の発生である。従来から事故に関連するような技能については補完すべく温存してはきたが伝承がスムースに行われておらず、大きな事故を招いたという実例である。かつては起こりえなかったことが現実に起こるようになった。多大な損失ばかりでなく犠牲者も生産のダメージも残った。一方、このような事態までは行かないとは確信していても、いつかは自社もその事態になるかもしれないというように「薄氷を歩く想い」でヒヤヒヤしていることは良く聞く話である。技術・技能伝承の行われない結果は企業活動にとって致命的な痛手を与える場合もあれば、徐々に効き目の現れるものもある。たとえば、生産に関して長期的な取り組みは少なくなり、短期的なもののみで回すようになった場合である。短期的な取り組みにふさわしい内容の技能に傾斜することで他社との差別化ができずにコスト競争に巻き込まれていく例である。このことはより一層、短期戦略の確立への道を歩むことにつながる。このことよりも、このような経営戦略しか採り得ないことが企業体質の脆弱化の道につながっていることを知るべきである。


2.技術・技能伝承がクライシスになる要因

 これまでの経緯から、クライシスになる原因は極めて明快に指摘できる。第1 は先に紹介したように、これまでの生産を支えていた技能者が高齢化し、職場を辞めていくことにある。今日、そのことが顕在化している理由は「団塊の世代の退職」と「若者の技能離れ」、「少子化による若手労働力の確保が困難なこと」に起因していると言えるだろう。第2 は海外拠点に技術・技能を移すことでコストダウンを図ってきたことにある。国内の労働力に依存するよりも海外の安いコストに依存する方が価格競争で優位に立てると考えて実行してきた結果がこのようなクライシスに結びつくこととなった。今は海外から国内に技術・技能を戻すことをも含めて戦略的な分業を考える企業は少なくない。第3 に自動化・ロボット化によって技能依存型から機械・システム依存型へとシフトさせてきたことである。熟練労働に頼らない生産構造や企業体質を作り上げることが生き残りの道であると考えて行動した企業である。
 しかし、もともと機械・システムによる生産は高度熟練を要求するものであり、多数の技術・技能者を必要とはしないが高度熟練者を配置せざるを得ない。段取り変更やシステムの組み換え、機械のメンテナンスなど、いずれも技術・技能者の関与なしには実行できない。製品の差別化と価格競争力との狭間での判断が要求されたものである。機械・システム依存型とはいっても根底には技能依存率が低下したに過ぎなかったのである。第4 に技術・技能伝承のしくみの作り方、実施方法が見いだせなかったことが挙げられる。「OJT でなんとかなる」、「OJT を強化しよう」と行ってきた企業もあるが、実質的な成果が見出せずに推移してしまったようである。技術・技能伝承はもともと企業内教育の部分に過ぎない。特に中小企業ではこの部分が苦手であり、教育に関しては外部機関にまかせたいとしている。しかし、外部機関でできることには限界があるのである。OJT の実施の仕方そのものがシロウト的な類推で行っていたのではその成果は限りがあろう。単に「やってみせ、やらせてみせて、後を確かめる」式の内容で伝承できることには限りがあると知るべきである。


3.技術・技能伝承がクライシスになるその他の要因

 クライシスになってしまうには、この技術・技能伝承に潜む特性が関係していると見ている。技術・技能伝承の特徴は実施した「結果が後で出てくる」ことにある。あるいは実施していない「結果が後で出てくる」と言ってよい。今、何とか乗り切ればこの問題は避けて通れると考えられがちなことである。言い方を変えて言えば、「先送りのできる」ものだ。だから、すぐには結果が出ないため、後回しになるのである。「だんだん苦しくはなるが、今さえ維持できればそれでよい」と考えるのは人間の弱みでもある。一方、技術・技能伝承は教育訓練、能力開発の部分であることから、これを実施したことのないところは急には実施できない。一定のアイドリングが必要なのである。もともと経営は教育とセットで考えるものと見ているが、そのようには考えない経営者は多い。「経営は人」なのである。教育の風土のないところで、突然に技術・技能伝承だからといって俄仕立てで展開できるほど安易なものでもないことは自覚してもらわないとならないだろう。経営者の中には、いざとなれば機械化で解消できると考える過信がある。機械やシステムに対する過信である。この隘路を見据えていることがとても大切なことだ。つまり、人の問題を考えてこなかったことが根底にはある。海外調達でカバーできると考え、アウトソーシングが当然と言えるようになった今日、ますます、国内生産の意味や意義を確認しないとならない。品質の維持、新製品の開発などを考えれば技術・技能伝承を行いつつ、国内に技術・技能を温存する意味が容易に見出すことができよう。


4.技術・技能伝承がクライシスにならない企業の特徴

 以上述べてきたことの裏返しが技術・技能伝承がクライシスに至らない企業群であると言ってよい。確認の意味でリストしてみよう。まず、人事システムと能力開発のセットとしての体制が確立していることだ。適材適所の配置はもちろんであるが、人を育てて使うのが原則である。すでにある人材を活用したり、中途採用で活用することよりもその仕事や企業戦略にあわせて人を育てるのである。また、過度な機械システムへの依存がないことも特徴として挙げられる。大企業はその経営資本の力で設備投資ができる環境があるが、あえて労働集約型の産業のように人的資源に頼る方向を選んでいる。機械・システムに依存することが妥当としてもその比率は一定の比率以上には高めることはしない。「人と機械」という永遠の課題に対するひとつの回答である。中小製造業においてもこれらを志向する企業は多い。このように考えるとき、クライシスにならない企業群は人的資源を大切にし、育成と活用が常識として考えられている。だから、この人的資源の維持発展のためのしくみを明確にしているものである。そして、人間の能力・資質・性質に合わせた作業配置、作業方法がセットされている。技術・技能伝承はまさに経営の問題と見ることができる。従って、技術・技能伝承への取り組みも教育上の多くの配慮が向上や社内のいたるところで見受けることが多い。たとえば、技術・技能マニュアルや技術・技能教育用教材などが常にリフレッシュされていることもそのひとつである。多くのコストをかけて開発するが、それらは活用され、発展し続けることで、次代での技術・技能を安定的に行使することができる。このように技術・技能クライシスは必ず回避できることは確実であるが、かなりの配慮と努力の元に進めなれければならず、経営者の考え方と無縁であることはできない。


5.技術・技能伝承活動が挫折する要因

 技術・技能伝承がうまく行かない企業を数多く見てきた。そこには共通する特徴があることに気づく。大企業と中小企業とに関わらず、それらは見出せるのである。企業によってはとても悲惨な状況を見ることができた。このような特徴を明確にしてみたい。第1 は技術・技能継承問題、そしてそれを実行する技術・技能伝承活動に対する認識が極めて低調であることである。筆者は「継承」を制度・仕組みを指し、「伝承」を活動として分けて使用している。この両者について経営者の認識が希薄で、甘い面を見出すことができる。また、総論では賛成していても、各論では実質的な措置を取らないことがあり、全体的には反対の立場と同様な扱いに過ぎないのである。このような状況下でできることにはおのずと限界があり、頓挫することは明らかである。
 1998 に実施した「東京都中小製造業における技術・技能伝承に関する調査」ではこれらに対する示唆がある。図1〜図3 は技術・技能伝承の実施方法を示している。図1 によれば最も多いのは「現場に任せたOJT」となっている。技術・技能伝承が現場の問題で、そこで行われなければならないという意図は理解できるが、建前を盾に経営者の参画意識を後退させているということは妥当とはいえない。中小製造業の技術・技能伝承に対する意識の低調がわが国の生産活動の致命傷になることも十分ありうるのである。図2 は技術・技能伝承の取り組みの状況についての回答である。「現場に任せた自然な技術・技能継承を行っている」企業が50%程度あり、「技術・技能継承は行っていない」とする企業22%があるとの結果を得ている。しかし、この「現場に任せた自然な技術・技能継承を行っている」というのは実質的には何も行っていないと同じであることが当時から指摘していた。

 その結果、図3 にあるように「計画的に技術・技能伝承を実施している」とする企業が「売上高の増大」が多いに対して、「減少」もしくは「横ばい」傾向に傾斜している。そして、第2 は現場任せ、個人任せではできないことである。この調査回答は管理者や総務担当者が現場への期待を書いたに過ぎないと考えられる。単に現場作業者が部下に対して日常的に仕事を一緒に行うだけでは技術・技能伝承をしているとは言えないのである。単に仕事をしたに過ぎない。技術・技能継承は企業の経営戦略に基づいて計画的に教育を実施することである 。「教育を実施する」とは教育目的を達成することに他ならない。従って、企業の経営戦略から書き上げられた社員ひとりひとりの目標に向けて計画的に実施し、それを計画した期間に達成することである。このようなことは現場が単独で孤独に行うような内容ではないことか推測できるだろう。取り組みが開始されても個人に依存しているのでは実績は出ないと知るべきだ。第3 に現場作業者の取り組み意識と活動の希薄さである。彼らは人によっては危機意識をもって働いている。同時に挫折感というものも持っている。「このままでよいのか、自分のいなくなったときに誰がこれをするのか」という意向である。一方で「誰もわかってはくれない。とてもひとりでは解決できない」といった挫折感が混在している。このように気づきのある社員の場合はまだ良いが、指導者層、高年齢層の自覚がないことも多い。「自分の仕事ではない。誰かがやるだろう」という考えがある。大事とは思っていてもそれを実行に移すかどうかは別物で、これを乗り越えても実行するにはかなりの負担があるに違いない。第4 は取り組みの負荷が大きいためにコストで妥協せざるを得ないと考えることである。どうしてもコストが優先するために、このような直接コストに反映できない業務は後回しになる。逆に言えば、だから経営者の理解と指示がなければ動かないのである。「ハードルは高いが必ず乗り越えなければ生き残れない」という認識がコストの前に萎縮してしまうことはよく見かけることだ。このようにしてこの種の問題の要は、経営者から社員ひとりひとりにいたるまでの草の根的な取り組みとすることに尽きる。つまり、全社的課題として共有することが必須の要件であるといえよう。



「四国地域における技能及びものづくりノウハウの継承に関する調査研究」A4版・137頁「同事例集」A4版・97頁、(財)産業研究所(株)くろしお地域経済研究所、2004年3月より、筆者担当部分抜粋






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